あなたは文章の「てにをは」をきちんと使えていますか?
「てにをは」とは、単語と単語、または文と文をつなぐ言葉のことです。
文章は、「◯◯が◯◯を◯◯に」などのように、間の一文字があることによって成り立ちます。
この大事な「てにをは」が最近危ない! と私は感じているのです。
「間違えちゃった〜。テヘペロっ」
と言って許してもらえるのはせいぜい20歳までですよ〜。
ここでは「てにをは」について、改めて考えてみたいと思います。
ちょっと自信ない……という人は、ぜひ読んでみてくださいね。
1.日本人ならできて当たり前?
日本人は生まれたときから日本を使い、誰もが話せて当然……と思っていませんか? 実は、日本人でも「てにをは」、つまり助詞をよく理解せずに使っていることが意外と多いのです。
文章を書く時は、ことさら「てにをは」に注意する必要があります。なぜなら助詞を使い間違えると、文章自体の意味がガラッと変わってしまうことがあるからです。たった一文字のひらがなですが、大きな威力を持っています。
また、今回取り上げるのは、あくまでもその助詞の持つ役割の一部です。日本語は奥が深く、全部掲載しようとしたら色々な研究論文を調べ上げなければならないほどです。
1-1.そもそもどうして「てにをは」って言うの?
てにをはの由来は昔の漢文の読みから来ていたようです。
”博士家(はかせけ)のヲコト点の四隅の点を左下から右回りに続けて読むと「てにをは」となることからの名称”(引用:三省堂 大辞林より)
「博士家」とは、同じく三省堂・大辞林によると、平安以降,大学寮などにおける博士の職を世襲した家柄のことで、菅原・大江・清原・中原などの各家が有名とのこと。
また、「ヲコト点」とは、漢文の漢字につけた送り仮名のことです。
「てにをは」は文と文をつなぐ助詞の総称のことで、てにをは以外にも「が」「で」「なら」「と」「へ」などたくさんあります。
2.使い間違えると別の意味に!
てにをはの使い方を間違えると、意図したこととは別の意味の文章になることがあります。
2-1.単純に意味が変わる
たとえば「少年 ボール 蹴る」という3つの単語を助詞でつなげてみます。
- 少年はボールを蹴る
- 少年がボールを蹴る
- 少年をボールが蹴る
- 少年もボールを蹴る
- 少年でボールを蹴る
いかがでしょう? 最初の「少年はボールを蹴る」はその情景がすぐに思い浮かびますね。
次の「少年がボールを蹴る」は、その場に女性や大人の男性など他の人がいたとしても、「少年」と特定している文章になっています。
その下の「少年をボールが蹴る」では、ボールが少年を蹴っているという文章になってしまいます。
「少年もボールを蹴る」は、他の人もボールを蹴っていて、少年も同じ行動をしていると説明しています。
最後の「少年でボールを蹴る」は、少年が道具のように説明されており、ホラー映画のワンシーンのような場面を想像してしまいます。
このように、たった一文字の使い方で、文章の意味がガラッと変わってしまうので、使い方には注意が必要なのです。
2-1.意思が変わる?
友人とカフェに行き、飲み物を頼む時を想像してください。
友人が飲み物を頼んだ後、あなたが頼む番です。
・カフェラテでいいです。
・カフェラテがいいです。
どちらがあなたの意思が入っていそうですか?
最初の「で」は、私もついでにそれでいい、という感じがします。
なんとなく投げやりで、とりあえずそれにしておく、というニュアンスが伝わります。
それに対して「が」を使うと、色々なメニューの中で、私はそれが飲みたいという意思が伝わります。
「が」については後でもう少し、くわしくお伝えします。
2-2.忘れていませんか?「主語」
こんな文章、見たことありませんか?
「皆様が本当によくしていただいて……」
これってどういう意味でしょう?
落ち着いて読むと、「皆様」が誰かによくしてもらった、という意味だとわかります。
しかし、これを使われているのを発見したのは、こんなへんてこな文章でした。
「これは、私一人の力で成し得たものではございません。経験豊富な諸先輩方のご指導や、仲間の皆様が本当によくしていただいて、今日の私があるのでございます」
どうでしょう。ちょっとおかしなことになっていますよね?
この一連の文面の主語は「私」です。
そして、「皆様」によくしていただいたのも、おそらく「私」だと言いたいのです。
しかし、読んでみると皆様「が」よくしていただいて……となっています。主語を端的に頭にくっつけてみると、「私が(は)、皆様がよくしていただいて」になってしまいます。
つまり、主語を2回繰り返しているような、ねじれの表現になっているのです。
主語はなに(誰)なのかを意識して書くと、このような文章にはならないはずです。
日本人は、日本人同士で話す時、よく主語を省いて話します。
文章にしても然り。
もしかしたら、それが原因で主語を忘れてしまいがちになるのかもしれません。
今回たまたま発見したこの文面は、おそらく敬意を示すために、なるべく丁寧な表現になるように敬語を使ったのが、裏目に出てしまったパターンだと思います。
しかし、感謝の意を表す重要な文章なら、やはりきちんとした恥ずかしくない文章を書きたいものです。
また、こんな例もあります。
- 山を見る
- 山が見える
ふたつとも、主語のない文章ですね。
a) の文章は、何者かが山「を」見ているという文章です。すなわち、主語は山を見ている山以外の「存在」です。
ではb) はどうでしょう。
山が見える、とだけ聞くと、ある人は「誰かが山が見えると言っている(または思っている)のだろう」と思うかもしれません。
また、別の人は「ここからは山が見える」という文章かな? と場所について考えます。
つまり、主語は存在ではなく「場所」である可能性も出てくるのです。
主語を明確にしないと、読み手は前後の文脈から考えなければならなくなります。
それは、相手に察することを要求する文章、相手の脳を疲れさせる文章になってしまうのです。
文章の基本は「読み手がスラスラと読める」ように書くことです。
特に、ランディングページや説明文、紹介文、ブログやメルマガなど、ビジネス関連の文章ならなおさらです。
商品を売るために、わざと謎解きのようなコピーを作ることもあります。
しかし、それはあくまでもインパクトを与えたい場合です。
これから読み手に分かってもらいたいときは、ダイレクトにわかりやすい文章にすべきです。
3.くせもの「が」
「が」はとても使い勝手のいい助詞です。
とりあえず「が」を使うと、「が」の前の対象のことを言っているような文章になるからです。
①オムライスが食べたい
この2つの文は、なにもおかしくないと思うでしょう。
しかし、こう並べたらどうでしょう?
①オムライスが食べたい
①’オムライスを食べたい
なんだかちょっとおかしいですね。
①に関していうと、オムライスの例文の主語(主格)は「私」「自分」などです。
つまり、主語を抜かしてただ「オムライスが食べたい」というと、「オムライスが何かを食べたがっている」という意味にもなってしまうのです。
ただし、意味的には十分変なので、読み手が「主語(主格)は別のところにあるんだな」と察して読んでいるわけです。
また、①’の「オムライスを食べたい」は、「を」が使われているので、主語(主格)がなくても、「誰か」がオムライスを食べたいのだということがわかります。
しかし、現在では口語体では「オムライスを食べたい」とはあまり言いません。一昔前なら「言葉の乱れ」と指摘した人もいるかもしれませんが、現在ではむしろ「が」を使う方が通用するようになってきています。
言葉は文化であり、流動的なものです。
昔の常識は今の常識ではなくなり、流行り言葉はいつしか常用語になることもあります。
それを考えると、助詞の使い方も変化していくのかもしれません。
話を戻し、次にこちらの文章です。
②先生が出席した
何の変哲もない文章です。しかし、これはいかがでしょう?
②’先生が出席していただいた
なんだかおかしいですよね。こういった使い方を、最近では特によく目にします。
「先生が出席した」は、自分から見ての事実ですが、「出席していただいた」は、丁寧語を使っているので誰かに伝える文章です。
また、「出席した」は「先生が」で通じますが、「出席していただいた」と丁寧語にすると、主語は「先生に」となります。
「先生に出席していただいた」
この2つを混同すると「先生が出席していただいた」になってしまうのだと思います。
まとめ
日頃あまり意識しないで使っている日本語ですが、こうして改めて考えてみると、意外とやってしまっているかもしれないな、と思った方もいるかもしれません。
ここでは、次のようなことについてご説明しました。
・日本人なら日本語ができて当たり前と思っていませんか?・「てにをは」の由来と意味・「てにをは」は間違えて使うと別の意味にります・「で」を「が」にすると意志が変わる・「主語」を入れない文章は勘違いもと・使い勝手が良いだけに、くせものにもなる「が」 今日ご紹介したもののほかにも、まだまだ気をつけなければならないことがあるかもしれません。 しかし、少なくともご紹介したものだけでも覚えていれば、今後はかなり相手に伝わりやすい文章を書けると思います。 また、気がついたことがあったら、お伝えしますね。