【江戸くらし】江戸時代のごはん事情〜初期編

江戸時代は一般的に粗食というイメージがありますが、本当のところ何を食べていたのか、興味がありますよね。

池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」や「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」などに出てきた名料理の数々は、主に武士が食べていたもの。

蛤鍋やねぎ入りの炒り卵など、自宅の食卓・外食取り混ぜて紹介されていますが、どれもこれも垂涎モノですね。

ただ、町民などの一般的な庶民は何を食べていたのかもちょっと気になるところです。

そこで、今回から3回にわたって(もしかしたら脱線してもっと増えるかも?)江戸時代のごはん事情に迫ってみたいと思います。

江戸初期の背景

江戸時代の食卓事情は、時代背景を抜いては語れません。

時代背景とは、江戸城建設に大きく関係します。江戸城築城のプロセスは以下となります。

期間(単位:年) 主に行われた事業
第1期 天正18(1590)〜文禄3(1594) 大名城下町としての建設
第2期 慶長8〜12(1603〜1607) 初大名に助力させた天下普請
第3期 元和2(1616)〜寛永13(1636) 外郭拡張を中心とした整備事業

江戸の初期(前期)は1680年あたりまでなので、江戸城が完成するまでは全部初期に入ります。

なんといっても、江戸城建設には各国の諸大名が競って尽力した第2期の天下普請、家康が亡くなったあとに秀忠や家光が大名を動員して行った第3期の外郭拡張工事があります。

それぞれの時期には大名、石屋、大工がたくさん住んでいて、事業を支える物流や問屋、住む人を支えるお店や振売りなどの職業もたくさんありました。寛永12年(1635年)に家光による本格的な参勤交代が始まると、宿場町なども賑わったことでしょう。

え? 第1期はどうなのって?

実は、江戸城は元々あったもので、家康が手を入れて整備したんです。江戸の第0期ともいうべき12世紀〜14世紀には、すでに武蔵の国の豪族だった江戸氏の館があり、康正3年(1457年)には太田道灌が江戸城を築城しました。

それまで江戸を収めていた北条氏を滅ぼした秀吉に、「家康、江戸に行って〜」と命令されて天正18年に移ってきたときには、すでに江戸は関東の流通経路の拠点としてある程度栄えていたらしいです。

家康が「ここ、発展するかも!」と目をつけたのも無理はありませんね。

(現在の東京のように銀座や新橋、築地などが埋め立てられたのは第3期以降。それまでは品川あたりまで海でした)

参考:小学館「徳川の国家デザイン」水本邦彦著、宝島社「江戸ものしり用語辞典」日本歴史楽会著

肉体労働者のためのごはん

一汁一菜。当時はご飯は山盛りだったと予想する

江戸の初期に庶民に食べられていたのは、白米・汁物・漬物など一汁一菜です(画像のご飯の量は少々お上品ですね)。漬物は今でも私たちが食べている、たくあん梅干しぬか漬けなどでした。

武家やちょっと裕福な商家などの町民は、その他に煮物などの副菜もつけていました。人気の副菜はひじきの煮つけ、きんぴらごぼう、煮豆、おひたしなどだったといいます。
焼き魚や刺し身は高級品で、月に1度食卓に上がると「今日はごちそうだねぇ」となったようです。

味付けは、全体的にしょっぱめ。汗を流すので塩分が必要だったんでしょうね。

とはいえ、当時の主な調味料は、塩と味噌。醤油は上方から入ってくる薄口醤油しかありませんでした。千葉の野田銚子などで濃い味の醤油が作られ始めると、これが江戸庶民に受け入れられて、関東の濃い味の醤油のベースとなりました。

 

水路が整備されてお米の物価が安くなると、痛みやすい玄米や雑穀米などに替わって白米が食べられるようになりました。

といっても、炊飯器や冷凍庫などない時代。朝1日分をどかんと炊いて、夜までもたせます

おかずが少ない分、ごはんをいっぱい食べるので、当時は1人5合食べたと文献にあります。

江戸初期には、江戸城建設のため多くの各国大名が単身赴任でやってきていました。もちろん人手がいるのでご家来衆現場で働く人足も多数いたでしょう。

天下普請は江戸城だけでなく、同時に江戸城下の建設・整備もしていたので、上水道を設置したり(なんと江戸時代には地下に木で造った水道管が張り巡らされていました)道路を整備したりと、大土木・建設工事が長い間続いていたのです。

そんなわけで、家康が江戸に入城する前までは1日朝晩の2食だったのが、築城が進むにつれて1日3食になっていきました。

つまり、肉体労働者が1日2食では足りなかったことと、物流の整備が進んで経済が豊かになりお米が手に入りやすくなったこと、そして、人々の暮らしに行灯が入って夜遅くまで活動できるようになったことが食生活を変えたということです。

【江戸くらし】行灯が庶民の暮らしを大きく変えた!

 

武士のためのごはん

武士の食卓はこんな献立だったかな?

武士の食事は、大名など上流のほうの武士の場合はそれこそ朝から副菜が何品もあるような食事だったようですが、中流以下の武士の場合はほとんど庶民と変わらない、質素なものだったようです。

江戸時代初期の武士のごはんについては、また追記したいと思います。

江戸初期のごはん事情のまとめ

ごはん事情ひとつとっても、時代背景が濃厚に絡んできて、調べていてとても楽しいものとなりました。

さあ、ここからが花の江戸の幕開け。中期・後期のごはん事情は色々と飛躍していきますので、お楽しみに。

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